In My Own Write

All I Really Need to Know I'm Unlearning in Kindergarten.
by ABE Manabu
西千葉・第三土曜市に出店します
いつもとはまったく趣の異なるお知らせでございます。

千葉大のある西千葉・ゆりの木商店街で毎月開催されている「第三土曜市」にカレー屋さんを出店します!

衝撃のポスター案、笑。なぜかラーメン屋風。

ゆりの木商店街、第三土曜市にはこれまで大変お世話になっています。私個人としては、学部4年のときに、同級生らが起業体験をした「Hako」というお店に協力いただいたこと、テレビ朝日の企画による小学生のメディアリテラシー授業を一緒に行っていただいたこと・・からつながりが始まりました。そのときの経験は私のなかで大きなものだったと今も思います。最近では、第三土曜市を千葉市・千葉大の連携事業「西千葉子ども起業塾」の舞台とさせていただいています。NPO法人企業教育研究会の事務所も、この ゆりの木商店街のなかにあるんです。

最近、第三土曜市にもっと飲食物があったら・・という話をよく聞きまして、いろいろと話がつながって、私が趣味でやっているカレーを出すことになりました。地元の方々とはいえ、不特定多数の人に自分のつくった料理を出すなんて!・・どきどきです。わりと緊張しています。おいしいと言ってもらえたらいいなあ。また、それだけでなく、いつもお世話になっているみなさんのおちからになれたら・・。このカレーで少しでも土曜市が盛り上がってくれたらうれしいです。

お近くの方はぜひ食べに来てください。5/19(土)11:30ころ〜、なくなり次第終了です。なお、この日、ACE総会、千葉授業づくり研究会もあります。早めに西千葉〜カレー〜総会〜研究会〜懇親会〜という流れがベストかと!

ちなみに。販売や宣伝などは、今年の「西千葉子ども起業塾」スタッフの学生さんたちが手伝ってくれることになっています。子どもに起業体験をしてもらうこの「起業塾」を運営するにあたって、自分たちもこうした場で経験をつんでおくことはたいへん良いことだと思います。多くの場面をお任せでやってもらいます。助かります。

| abemanabu | イベントなどのお知らせ | 23:47 |
臨床育児・保育研究会「早春の北イタリア、レッジョエミリアを訪ねて」に参加しました
先日、お世話になっているH先生にご案内いただき、臨床育児・保育研究会「早春の北イタリア、レッジョエミリアを訪ねて」に参加しました。こちらの研究会、初参加でした。汐見先生ら研究グループがレッジョエミリアをツアーし、その報告ということでした。

まとまりませんが、感想等をメモしておきたいと思います。

・「日本と比べて特別優れているとは思わなかった」という報告。ではなぜ私たちはレッジョにこんなに関心をもつのだろうか。レッジョに詳しくない私自身は、「イタリアの◯◯はおしゃれでアートで憧れるなあ日本と違うなあ…」という感覚と、「レッジョの保育は…」というのが同じ感覚であるように思える(あくまで自分の話)。ふつうの人である自分は「アート」と聞くと「すごい」「崇高」「かっこいい」「おしゃれ」等と思うように条件づけられている。日本的でないアート的なものに対する無条件的な憧れというか何というか。美術館がデートスポット、という意味。「アート」に対する思考停止性を超えて私は何を思えるのか…。

・小学校でのレッジョ・アプローチが実験的に始まっているらしい。見たい知りたい。

・コンビニもテーマパークもない、休日は親子で公園に、デザインされていないモノはモノではないという感覚…そうした「レッジョの風土あってこそのあの保育」といった報告。同意。自分は「なじむ」という言葉で理解したい。あの地に無理なく「なじむ」保育をしているのだなあと思う。いくら良いとされるものでも、日本になじまなければ意味がない?

・では日本的レッジョ・アプローチがあるとして、それはなんなんだ、と。コンビニもテーマパークもある、ゲーム、アニメ、ケータイ、という環境にある日本の子たちはどうだろうか。ドゥオーモが身近にある子と、休日にららぽーとに行く子では、遊びが違って当然。そうした環境が遊びに影響を与えると考えるのはとても自然。日本の子は先の環境になじんでいる。ただし、たとえば、多くの場合、既存のキャラクターの影響を多分に感じさせるような造形表現には日本の保育者は否定的になるのでは? なじんでいるのにダメなものってあるのか? 表現とかメディアとかに優劣ってあるのか? 「なじむ」をレッジョの本質だとすると、いろいろ難しい話が出てくる。

・「風土」という言葉を聞いて、お祭りとか、伝統芸能とか、民俗学的な観点も必要なのかも、と感じた。私たちはどこから来たのかということを知らないと、どこへ行くかと語れない。

・これは否定的な感想。「協働」「学びの質」「子どもは有能」「子どもに学ぶ」「子どもに任せる」といった言葉でレッジョが語られていた。が、こうした言葉では実際に迫れないのではと思っている。これは保育学界全般に対しても思うこと。その先を語る言葉はないのだろうか。みな、どういう〈眼鏡〉で子どもをみているのか。保育の〈眼鏡〉でなく、たとえば行動経済学の〈眼鏡〉をかけたらどういう言葉が出てくるか。ヴィトゲンシュタインなら何を話すのか、沈黙するのか(冗談)。

・レミダはどこにあるか? 日本においてはどこかにレミダ常設ってのは難しい。あっても比較的、非日常としてあることになる。私の通うA園では、「倉庫」があり、一室まるまる様々な素材が詰め込まれている。園内にレミダ的空間があるとも言えそう。だとすると、園の中にそっくりそのままレッジョという「まち」を再現した、というイメージになるか。保育園のみを再現した、でなく。

・「みんなで子どもをみる」という報告。「みんな」とは何だろう。

・質問したかったこと:インターネットは保育に活用されているのか?

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来月も開催していただけるという話がありました。都合がつけばぜひ行きたいです。
| abemanabu | ちょっとしたメモ | 16:44 |
「メディアのめ」活用の授業:「写真」
縁あって、某小学校にて小6の「総合」を一部担当することになりました(経緯省略)。私が担当するのはだいたい2週間に1〜2回。ということで、プロジェクト遂行型の大きな単元構成ではなく、将来的にそうした大きな探究をする際のたすけとなるような、小さな探究をくりかえす授業をしたいと考えました。1学期ということもありますし。

(批判的な思考の仕方、情報収集の仕方、情報発信の仕方などについて、ある程度の型をおさえた上でないと、まんぞくのいく調べ学習・探究活動はできないはず…と自分のなかでは理由付けをしています。「自分なりに」調べるということは、簡単ではないはず。)

さてさて。そこで、千葉大・藤川大祐先生も番組企画委員をつとめてらっしゃる、NHK Eテレ「メディアのめ」を活用しながらのメディアリテラシーの授業を行なってゆくことにしました。この「メディアのめ」は、今年4月から放送が始まったもので、出演の池上彰さんが、メディアの裏側を分かりやすく解説してくれるというものです。いま現在、2回目まで放送されており、サイトでも視聴することができます。情報の読み解き方や発信の仕方について、基礎から学習できるのではないか、と。

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本日、1回目の授業を行いました。テーマは「メディアのめ」にならって、「写真」。ただし、阿部版「総合」の初授業、且つ、そもそも私がこの学校で初授業…という背景があり、自己紹介や導入(メディアについて学習しますよ〜)といったところにも時間を使いました。

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導入。簡単な自己紹介の後、「この金曜の総合のテーマは…?」と聞くと、「…メディ…ア?」とぼそぼそ声が。ニヤリとする子たち。え、初めてなのになぜテーマを知っているのでしょう〜?

実は私、週の始めに、謎の文書をこっそりと教室内に掲示していたのです。たいしたものではないのですが、こんなもの。

目をひくようなフォントにしたつもり…。

担当は2クラスで、ひとクラスは上のもの。もうひとクラスには「メ◯ィ◯」。ふたつ合わせると「メディア」と分かる……はずでしたが、2クラス間での交流はなかった模様。カンタンすぎましたか…。でもそれぞれクラス内ではほぼ全員の目に留まっていた模様。

でも、まあ良いのです。これで、私は授業を始める前から授業を始めることができ、子どもたちは少なからずワクワク感をもって授業にのぞんでいてくれていたはずです。子どもと会う時間が少ないので、考えました。

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そしてその「メディア」の話。5年生の情報の単元にもあるためか、子どもたちメディアという言葉自体は知っており、「テレビ」「新聞」など「情報を伝えるもの」がメディアだ、と。すばらしい。

では、「(上の)謎の文書はメディアでしょうか?」あるいは「教室のなかにもあるでしょうか?」 メディアの概念を広くもってもらおうと、ブレスト的なことをやりました。

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私たちのまわりにはほんとうに色々なメディアがあることを確認し、毎回ひとつのメディアをとりあげてゆくことを伝えました。デジカメを提示しながら、「今日は写真です」。話を聞くと、子どもはけっこうデジカメ使うんですね。1家に何台もあるのでしょう。

「写真」は子どもから意見があがっていなかったので、「写真もメディアでしょうか?」と確認。「写真から何かしらの情報を受けとることができますか?」。例として、私の旅行写真等を見せました(自己紹介の意味も込めて!)。直接見たことのないものでも、写真を見ると分かることがあります。

たとえば、
現在は長友選手も所属するインテルの本拠地、サン・シーロのロッカールーム。
(阿部がいったのは2年前…残念!)

同じくサン・シーロが本拠地のACミランのロッカールーム。
ミランの方がお金持ち…!?
当時在籍のベッカムの席。阿部ッカム。

微笑。

別の話も。
競走馬のトレーニング風景なんてみたことないですよね?
プールにも入っちゃうんです。「へ〜」

などなど。

写真で見ると「へ〜」と分かることも多い。今まさに情報を受け取っています。

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と、旅の写真を楽しんだところで、ここからは「メディアのめ」を活用。「ここからはみなさんに考えてもらいます」。まず、あたかもダンスしているかのように見えるサッカー選手の写真(こちら左上)を提示。子どもからも「ダンス?」という声。でも実際は違うんですね。詳しくは動画を参照してください。

どこを切り取るかによって感じ方が変わることを確認し、次の写真(こちら左下)。動画の流れにならい、2枚の写真を比較。ワークシートに記入。動画内に登場する男の子のような感想を、みなも書いていました。みなの感想を共有した後に動画を視聴。自然と「池上さんに聞いてみましょう」という発言をしていました。「アップ」と「ルーズ」を確認。

さらに、動画を見進め、プロカメラマンのお話。同様に、感想を共有し合いました。

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動画は続きますが、1時間ではここまで。写真というメディアについて、「切り取り方によって受け取る印象が変わる」とまとめました。

授業の最後に感想記入。早く書けた子もいたので、「ラジオ的」に雑談。「ある化粧品会社のポスターにうつる女性の写真はみな左向き、なぜ?」などなど。

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最後の最後。次回まで時間が空いてしまうので、「メディアリテラシー通信」を発行することに。配って、授業後に読んでね、と。今回は、初回挨拶、私が個人的に取材した某プロカメラマンさんの話、次回からはみんなの意見ものせたい…といった内容。また、「メディアのめ」動画内に出てくるフセイン像の話(こちら右)をこの通信内に入れ込みました。

A4・1枚。内容はいまのところ非公開でご勘弁。

情報の授業なので、こうした形で「情報を発信する」ことを意図的に、地道にやっていきたいと思います。チャンネルは多く! 授業内だけでなく、「通信」内だけで子どもとのやりとりが出てきても面白い…どうなることやら分かりませんが、楽しみです。いずれ私が情報を受け取る側になれたらいいなあ。

ちなみに……この「通信」に登場する某プロカメラマンさん。いずれゲスト講師として来ていただこうと調整中。イレギュラーな授業なので、伏線をはっておくことは大事かと。当日は、「あの」◯◯さんになりますよね。

以上、授業終了…。

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「メディアのめ」は、まずは私自身が話の組み立ての勉強になるというところで、大変参考になりました。池上さんの話し方に学べるところも大きいです。

ただ、番組自体は1話完結なので、背後にあるストーリーをどう設定するかが、授業化の鍵かと思います。私は、授業時間外にも情報を発信しつつ、そこで「伏線」を意識しつつ、調整しつつ、この授業なりの文化をつくってゆきたいなあと思っています。もちろん、他にもいろんな方法があるかと思います。

| abemanabu | 実践報告 | 14:15 |
第77回千葉授業づくり研究会:NHK『メディアのめ』と写真撮影の極意
珍しく告知です。

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第77回千葉授業づくり研究会
NHK『メディアのめ』と写真撮影の極意

テレビ、インターネットから、最近話題のスマートフォンまで、私たちをとりまくメディアは日々進化しており、これまでにもまして、メディアリテラシー教育の推進が求められるところです。

こうした背景のなか、今年4月より、NHK Eテレの小学生向けメディアリテラシー番組「メディアのめ」の放送が始まりました。この番組ではACE理事長の藤川も番組委員を務めています。明日から授業で使える「メディアのめ」。今回は、そのねらいと活用方法について、みなさまと考えてゆきたいと思います。

さらに今回は特別企画として、「メディアのめ」第一回放送のテーマである「写真」を掘り下げるべく、千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルカメラマンの大高健氏を招き、写真撮影の極意やスポーツ写真というメディアについて学んでいきたいと思います。

【日 時】2012年 5月19日(土)16:00〜18:50(懇親会は19:00〜)
【講 師】大高健 氏(千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルカメラマン)
【内 容】NHKのメディアリテラシー教育番組「メディアのめ」について
     写真撮影の極意と授業づくり 
     質疑応答・自由議論
【会 場】千葉大学教育学部1号館3階 模擬授業演習教室(1317)
【参加費】2,000円(会員は1,000円)なお、学生は無料。
    (会員とは、NPO法人企業教育研究会の会員を指します。)
【主 催】千葉大学教育学部藤川研究室
     静岡大学教育学部塩田研究室
     NPO法人企業教育研究会

※申し込みはこちらから 

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私も非常勤での勤務校で「メディアのめ」を活用した授業を行なってゆく予定で、かつ大高さんにも協力いただく予定です。当日はそうしたお話もさせていただきます。どうぞご参加ください。

| abemanabu | イベントなどのお知らせ | 13:56 |
日本保育学会第65回全国大会で発表しました
5/4、日本保育学会第65回全国大会@東京家政大で、ポスター発表をしました。

阿部学「保育におけるリアリティとファンタジーに関する一考察―ごっこ遊びの捉え難さをふまえた上でごっこ遊びをどう捉えるか―」、日本保育学会 第65回大会、p.698、2012.5

明確な問題と結論のあるりっぱな研究成果ではないのですが、私がふだんもやもや考えていることについて、多くの方のご意見をいただきたく、発表させていただきました。現場の先生から社会学を専門とされている先生、スタッフの学生さんまで、ふだんは接することのない幅広い方とお話でき、たいへん有意義でした。ありがとうございました。(ところどころでtwitter見てますと声をかけていただいたのにはびっくりでした)

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私個人は、過去からみゃくみゃくと流れる〈保育をみる・語る・研究する観点〉というものがあって、どうもそれは一面的であったり、そぼくな二項対立的であったりするように思えます。小中高の授業づくりをやってきたり、NPOという外部の人間として学校に関わったり、というところから出てきた身なので、おうどうの保育学?なるものが分かっていないのかもしれませんが…。(ちなみに、一面的であったり…ということ自体は悪いことではないとも思っています。それは保育界にとって大切なものなのでしょう。)

ただ、私は違和感を感じてしまう…何とかこの違和感をことばにしたい…保育界・保育学界にどっぷりつかっていない人間であるならそれを生かしてなんか言いたい…と思いこれまでやってきていますが、まだまだ先は長いな…という感じです。でも少しずつでも何かをつかめているような…どうだろう…。もやもや…。

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今回さまざまなお話を伺い、刺激になりました。「続報、結論を楽しみにしています」と言ってくださった方もおり、孤独ではないな…とも思いました。また、S先生の「旅人」という比喩はぐっとくるものがありました。今後の研究にかくじつに活きると思います。重ね重ね、みなさまありがとうございました。発表してよかったです。

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当日の資料の一部です。

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ちなみに今回、ポスターのボードにiPadくっつけようと(画鋲の上にのっける)思ってましたが、用意されていた画鋲では重さに耐えられませんで、断念。またなんか考えよう〜。

| abemanabu | 研究に関する記録 | 17:22 |
阿部版 3分間でわかる子ども学 37
5月になり、子どもたちの生活も軌道にのってきたころかと思います。最初はがらんとしたお部屋でしたが、あちらこちらに子どもたちの遊び・生活の跡が見られるように。 年長さんのお部屋では、早くも1軒目のおうちが完成したようです。 年度末になるころには、きっとこの広いお部屋いっぱいに、子どもたちのお店が建ち並んでいることでしょう。


おうちづくりの例のように、子どもたちが「自分たちで自分たちの生活の場をつくってゆく」ということは、A園の大きな特徴だと思います。さらに面白いのは、一度つくって終わりなのではなく、そのことがまわりに影響を与え、色々なアイデアが重なり合い、生活の場がどんどん変化してゆくことです。たとえば、最初はひとりでケーキをつくっていたとしても、「おうち建ててケーキ屋さんにしようよ」「メニューもつくろう」「となりの◯◯屋でもおいてもらおう」といった具合に、一度誰かがつくった生活の場に、他の子の新たなアイデアが次々と重ねられてゆく。互いに影響を与え合い、生活の場をつくり続けてゆくという生活。それが1年間続き、最後には「まち」のような姿に…。

最初はバラバラに遊んでいても、年度末ころにはひとつの「まち」のようになっている…改めて考えると不思議なことに思えてきます。「わたし」の遊びは、いかにして「みんな」の遊びになってゆくのでしょうか。

私は、こうした謎を読み解くには、音楽の成り立ちの比喩がヒントになるのではないかと思っています。誰かが最初に鳴らした「ド」という音。その「ド」という音にみんな揃って「ド」を重ねてはつまらない。みんなで同じ遊びを同じようにやっているようなものです。共同で何かを行うときには、いかに他の人と「うまくズレた意見」を重ねるかが大事です。そのズレから、新たな発想が生まれてきます(大人でもそうですよね。「三人寄れば文殊の知恵」と言いますが、その3人は異質な3人であるはず)。そこで、たとえば「ミ」や「ソ」といった音を重ねることになる。「みんな同じ」ではなく、「適切にズレて響き合っている」ということです。流れによってはもっと違う音を重ねてもよいでしょう。そして、どんな音を重ねたかによって、次の流れが決まってゆきます。音楽が時間の芸術であるように、子どもたちの生活も日々流れてゆく…。

お部屋のなかでも、みんな同じお店をやっていたらつまらないことになるかもしれませんが、A園では毎年、実に多様で魅力的なお店が建ち並びます。それはまわりの音と「適切にズレて、不協和音でもなく、うまく響き合っている」状態なのだと思います。この「響く」「響き合う」という観点から子どもの生活を見ると、また違った発見があるかもしれません。私も、これからお部屋のなかでどんな音が重なってゆくのか、見て・聞いてゆきたいと思います。
| abemanabu | 園だより掲載コラム転載 | 19:57 |
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