Author
ABE Manabu
All I Really Need to Know I'm Unlearning in Kindergarten
iBooks Author ファーストインプレッション
iBooks Autor、とりあえずいじってみました。
詳しい背景や、電子教科書うんぬんの真面目な話はあちこちでされていると思うので、自分なりの、ちょっとした雑感や、実際の画像を。

はじめに、とりあえず操作してみたもの。
左画像は「インタラクティブ」。
テキスト部分をクリックするとその部分にフォーカスするなど。
うまいこと使うのは難しそうだけど、つい取り入れたくなる機能か。

自分の論文の一部分をつっこむ。
縦表示。下にスクロール。・・それっぽい。
自分としては。このデザインテンプレートがいちばんカッコよかったです。

A崎さんが授業用資料をつっこんだもの。
右の画像はもともと四コマ漫画だったもの。
スワイプで次画像に。これはちょっと興奮。

右上はKeynoteそのまま。そのまま動作します。
お好みで全画面にもなります。

そして、著作権のことを考えると何でもかんでも制作できず、無難にいつもの「あめっち」。
手描きアニメ授業のためのチュートリアルをつくろうと思いましたが、完成はせず・・。

動画入れるのに手間取りました。サポートしているフォーマットはこちららしい。
詳しくないので色々試したがうまくいかず・・。
結局、QuickTimePlayerの書き出し機能でことたりました・・。

手間取ったのはもう一点。
これ、「チャプタ」と「セクション」に構成がひっぱられますね。
ご丁寧に「チャプタ」ごとにかっこよく目次画面にしてくれます。
それはそれでいいのですが、逆にあっさり終わりたい「チャプタ」と、長大な「セクション」いっぱいの「チャプタ」で差が出るなど・・。
1枚の「セクション」で終わりたいとき、どうもカッコがつかない。
気にならない方も多いでしょうけど。

逆に、構成がばっちり決まっていて、それぞれある程度のテキストがあるなら、すぐに「本」っぽくなると思います。その点、上記の論文の転載はそれっぽくて、興奮しました。

画像や動画などが盛り込めるところが強調されますが、もちろんそこが画期的な点だとも思いますが、これは「本」なのだということを忘れてはいけない・・というファーストインプレッションです。
たぶん「本」に何を足せるかが大事。グラフィックにちょっと頼るだけの教材なら、いつものアプリでいいのだと思います。

初日の感想なので、今後印象が変わることは十分あり得ますが、
とりあえずこんなことを思いました。メモメモ。

(今のところ、縦書きNG、日本語本の販売なし、らしいです。残念。)
ケータイ・インターネット安全教室 見本市 開催のお知らせ
ちば地域コンソーシアム(事務局:NPO法人企業教育研究会)による「ケータイ・インターネット安全教室見本市」が開催されます。


1/21(土)14:00〜17:00
@幕張コミュニティセンター3Fホール

ケータイ・インターネットに関する安全教室が各地で毎週のように開催されています。青少年向け、保護者向けなどの対象者の違いや、初級・上級者向けの講座など、地域の状況によってそのニーズも年々変化しており、講師となる団体・個人や、プログラムも多様になっています。
そこで、千葉県内外で情報モラルに関する講座を行っている団体や、青少年育成関連団体が一堂に会する「見本市」を開催し、多様な啓発プログラムの情報を集約します。今後、講座を開催したいと考える学校や各種団体にとって、より適切に講座・講師を選べるような情報を提供するための交流会を行います。

私も安全教室の講師として千葉各地に登場していますが、各地の保護者・教員のみなさま、多様な課題をかかえてらっしゃるように思います。

この見本市では、ドコモ、KDDI、ソフトバンク、DeNA、GREE、ガイアックス、EMA(敬称略)などに、講座・教材等の出展を行っていただきます。

学校関係者、保護者、青少年指導員などに限らず、どなたでもご参加できますので、ぜひ引き出しを増やしていただければと思っております。

詳細・申し込みはこちら
Mobile Cubeを入手
Mobile Cubeを入手。

すでにWimax・AtermWM3500Rを使っていたのだけど、起動が遅かったり、つかってる途中に切れたりするので悶々としてたところ。年間パスポートの更新月でもあったので、そちらは解約。0円。

ヨドバシなどでは扱っておらず、価格.com経由で。2年しばりですが、細かいことはいいやと思いまして、契約。今日届きました。

こちら。
箱。キューブ。

開けると、
こういうのどこかで見たことあるような・・・。

新書、iPhone、そしてCubeさん。
めっちゃ小さいです。

前のと比べ、起動はほんとに早い。気持ちいい。
とりあえず受信等も問題なし。

ケースも付属。
とりあえず入れてみてました。
ぴったりサイズ。
「付属ケース」の部類ではかなりおしゃれな方かと。

公称では10時間もつそうですが、その辺は未確認。

デザインと教育についての雑感
友人がエディトリアルデザインをした『DESIGN ふたつの時代 60s VS 00s―ジャパンデザインミュージアム構想』をみる。デザインについて専門的に学んだことはまったくないけれど、こういうのはとても面白い。 

60年代と00年代のデザインをくらべて紹介するというもので、その紹介されているモノ自体も面白いのだけど、その紹介のされ方も面白い。

カップヌードルとか、キッコーマンの醤油瓶とかが紹介されているんだけど、これ家のテーブルの上にあっても、「いいデザインだなあ!」とはなかなか思えない(自分の感度では)。でもこの本ではよく見える。適切なデザインで紹介されているのだろうと思う。

あるモノの意味とか価値などは、きっとそのモノ自体にはないのだろうと思った。図と地があってこそ、予持や把持があってこその、そのモノの意味や価値なのだろう。そのモノの時間的な位置を理解し、空間的に適切な配置をしてあげることで、意味や価値がうまれてくる。のかな?

幼稚園での雑談を思い出す。子どもが焼き物のカップをつくった。それを展示する。そのときどう展示するか。ただ並べるよりも、コースターのようなものの上に置くだけで、見え方が変わる。ちょっとした工夫。でもずっと「それっぽく」なる。大人にも見栄えよくなる。子どもも嬉しい。盛り上がる、次につながる・・。それが花瓶なら、花一輪だけでも変わる。

そして自問。私たちは、「そのモノとは何か」によりそって子どもの作品を扱っているか。習字は教室の後ろに並べられるのが適切なのだろうか。図工で描いた絵は廊下でよいか。あるいはこれは無形のものにもあてはまるか。作文は、詩は、歌は・・・適切に扱われているか。醤油瓶が紙上でデザインされるように、歌は教室上で発表されているか。

なんてことをもやもや思いました。雑感です。
阿部版 3分間でわかる子ども学 34
新年初回ではありますが、昨年末のクリスマス会にお邪魔してのことを。サンタクロースと出会った子どもたち見て、子どもの世界はリアリティとファンタジーが重なりあって成り立っているのだと、初心にかえる思いでした。これは子どもと向きあうときに、とても大事なことだと思うのです。

たとえば、こんな場面。
(1)お母さんたちが持つのは、子どもたちが焼いた小さな燭台。灯るあかり。子どもたちは離れたステージにいましたが、先生の「よろしくお願いします」の後に、「ふ〜」と息を吹くと・・・あら不思議。一瞬であかりが消えてしまいました。クリスマスの魔法でしょうか?
(2)お母さんとはぐれたモンチッチ。時折、子どもたちの「◯◯先生だあ」の声も聞こえます。一方、モンチッチに話しかけられ、素直に答える様子も。すれ違ってなかなか出会えないふたりと、「うしろー! うしろー!」『えぅ、いないじゃ〜ん』「あ〜〜!!(悲鳴)」のやりとりも。本気です。
(3)ついにやって来たサンタさん。サンタさんにもプレゼントにも歓喜の声(笑)。大人目線から不思議なのは、「ばいばーい」とサンタさんを見送ること。誰も追いかけはしないんだなあ、と。どうしてなんだろう。
(4)帰り際にある子。「ホントのサンタさんが来たんだよ!」
 
「子どもたちはサンタクロースをホントに信じているのか?」という問いをたまに見かけます。私の答えは、「YESでもNOでもない」といったところです。

幼児期の子どもたちは、リアリティとファンタジーのあいだをさまよっているのだと思います。ある瞬間には人形劇の影を「◯◯先生だあ」と言い、ある瞬間には「うしろー!」と真剣な目に。リアリティの世界で「サンタはいない」と断定しているのでもなく、ファンタジーの世界で盲目的にすべてを受け入れているのでもありません。それらが不思議に両立しています。

大人の私たちは、様々な物事を「YES/NO」「ある/ない」「正しい/間違い」など二項で分けて考えがちですが、子どもたちはそんなにはっきりと割り切れる世界を生きてはいません。そして、その言わば半透明の世界で行ったり来たりを繰り返しながら、自我なるものが確立してゆくのだと思います。(ちなみに、このことは大人にも当てはまるのかもしれません。平日のお仕事と、休日の趣味の世界との往来など。両方があって、きもちが安定します。)

子どもをみていて、「何でそういう行動をとるのか分からない」ということが時折あるかと思いますが、子どもの世界が半透明だということを踏まえると、府に落ちることも多くなるのではないでしょうか。リアリティがあるから正しいとか、ファンタジーなことばかり言うから未成熟とか、子どもの世界はそういうものではないはずです。子どもたちの半透明さに、日頃リアリティある世界で生きることを強いられる大人の私たちは、ファンタジー溢れるかたちで寄り添ってあげるということが重要なのだと思います。

そして、そうした世界には、サンタクロースは実在するのだと思います。なんて。

ハロー、マーチン!
マーチン購入!

・・・とは言っても、ウン十万する所謂マーチンではなく、リトルマーチンなる3/4くらいのサイズのモデル。でもそれでも歴としたマーチンなのです。メイド・イン・メキシコだけどね。

こんな感じ。So cute!!


ご覧のとおり、ちっこくても結構鳴るんです。おもちゃギターのような、弦だけが鳴ってるようなペラペラした音かと思いきや、ローもそれなりに出る。持って弾くとボディも精一杯ふるえてますううよろしくううう、みたいな。

このリトルマーチン、ぼくは存在すら知らなかったです。が、先日、知人がギターを買いたいというので付き添って色々試奏していたら、「あれ、あの格安マーチンは何だ!?」と。小さいマーチンなんて面白いなあと、一度弾いてみようと興味だけのつもりが・・・。結構鳴るなあ、いい感じだなあ、小さいギターほしいなあ、いいなあ、いいなあ、いいなあ・・・と・・・・。チューニングもレギュラーだし。

その場ではさすがにこらえましたが、帰宅して本気のネットサーフィン。わりと前からあるモデルなんですね。廃材を集めてつくったというなんとかという合板らしい(試奏したものも)のですが、それであれだけなるのはさすがマーチンといったとこか。

で、LX1なるモデルのみ(試奏してないやつ)、トップが単板らしいことも分かりました。でもそれほど残っていない模様。しかも、LX1Eというモデルはそもそもピックアップつきで、小さいギターだけでにそれのがいいなあと思いつつも、やはり在庫希少。

あれこれ調べると、とあるリペア屋さんが、LX1にオリジナルでピックアップつけたというものを出していました。値段もマイクつけての半額ほど! これは・・・と思いつつ、ネットでギターを買っていいものかと悩むこと1日(笑)、電話をかけたところ、丁寧に調整してくれそうで(そもそもリペアショップなので)、きっと試奏したフル合板のものより単板の方がいいだろうとも思ったので、注文。初体験。緊張しました。まあ比較的安いモデルなので、踏み切れたというところもあります。ウン十万のモデルでは無理だろうなあ・・。

で、届きました。

比較できるギターが家にないのですが、まさに3/4という感じ。小ぶりでSo Cuteです。ソファでごろんとしつつ、ぱっと手にとれる、ひじょ〜によいサイズ。

それでいて音も鳴ります。心地良い小さい音。小さい音楽をやりたくなります。キセルとか?? 今年中に知人の結婚式がちらほらあるのですが、そこで登板させようかと。まだアンプのつないでの音は確認していませんが、生音拾ってもらってもそこそこ勝負できそう・・。軽いし小さいし音は出るし、最高です。幼稚園、小学校にもってくのも楽だろうな〜。(これまではYAMAHAのCJ君+ハードケースで海外旅行みたいな感じだったので・・)

そんなわけで、リトルマーチン君と幕を開けた2012でございます。
あけましておめでとうございます
 
今年もよろしくおねがいいたします。
大晦日に思う
昨日、研究室学部時代の同期数名とプチ同窓会。研究室第3期である。ACE創設の第2期、わいわい楽しい第4期とのはざまで、元祖谷間の世代と自称していたような世代だったけど(笑)、卒業後もほそぼそ、ちょくちょく集まる仲良い世代である。

今日はその同期のなかでもひさしぶりのSくんも合流し、懐かしい時間をすごすことができた。Sくんとの付き合いは、個人的に思い入れのあるもの。

学部時代、バンドをやっていた。全国各地のライブハウスをまわり、自分としては卒業後もそんな暮らしを続けたいと思っていたけど、同学年だったメンバー皆の進路はばらばらで、あえなく解散。

現在はデザイナーをしているSくん、当時ぼくの曲を気に入ってくれて、バンドの写真やらフライヤーやらCDのジャケットやら、もろもろ担当してくれた。まだ「バンドのHP」もままならない時代、そのサポートはほんとにありがたかった。

そして昨日、当時の写真を今更もらった笑。

(なんだかまゆ毛が太い気が。笑)

見せてもらった瞬間、色々思い出す。写真の力はすごいと思った。これは学部4年時。ぼくの記憶が正しければ、卒論提出日とバンド解散の日が一緒で、その前日までに気合で卒論を終わらせた笑。で、そのライブのために、当時応援してくれたみなさんのために記念CDをと思い、セルフレコーディングをしていた・・その写真。もしかしたらまさに7年前の今日?、真冬の大学、ぼろぼろのスタジオ、最低限の機材、それを貸してくれた某先輩、今はなきギター・・・・・・・。ぶあっと、思い出す。

それぞれの進路へすすんだ皆と話し、人生には色々な可能性があったなとも思う、明けて12/31である。
クリスマス会に思う
本日、お世話になっているA幼稚園のクリスマス会にお邪魔。サンタクロース。リアリティとファンタジー。初心にかえる思いでした。

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お母さんたちが持つのは、子どもが焼いた小さな燭台。灯るあかり。離れた位置に子どもたち。せーので吹き消そう、と先生。お母さんに「よろしくお願いします」とにっこり一言。さあて、いっせーの、ふー!…あーら不思議。あかり、消えちゃいました。魔法だね〜。

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暗闇の中。ぼんやり見えるの家々。年少さんの背丈くらい? その中を歩くおさるさんとそのお母さん。ちなみに阿部にはそのうしろに黒い大きな影も見えますが。時折、みんなの「◯◯先生だあ」の声も聞こえます。ま る で 劇みたいです。

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おさるさんとお母さん、はぐれてしまいました。お母さんを探すおさるさん、みんなに話しかけます。「お母さんいなかった?」『うしろー!! うしろー!!』「(振り返り)えっ、いないじゃ〜ん」『あ〜〜!!(悲鳴?)』『あーそっちの方!!』

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おさるさんを狙うゴリラくん。ゴリラくんもみんなに話しかけます。「おさるさんみなかった?」『知らない…』「そっか〜。じゃあおさるさんの名前はなんていうの?」『◯◯!』「そっか〜ありがとうね…!」『(あっ)……!』

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あれこれあって、おさるさんは無事お母さんと会うことができました。エンディングをつげるかのように街を横切る電車。『動いた!』でも、だれも電車に飛びついてはゆきません。「ありがとねー!」のおさるさんの声に、『また(お母さん)いっちゃうよー!』と心配する声。

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さあて、そろそろサンタさんが来るころ? 鈴の音とともにやってきたホンモノのサンタさん!! サンタさんにも、プレゼントにも(笑)みんなの歓声。いっぱいプレゼントくれてありがとう。ばいばーい…後を追いはしないみんな。

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お帰りの時間。『ホ ン ト の サンタさんが来たんだよ!』

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子どもたちはリアリティとファンタジーのあいだをさまよっている。それらは赤青にはっきりと塗り分けられたものではなく濃淡である。半透明である。『◯◯先生だあ』という声と、『うしろー!!』『ホ ン ト のサンタさん』という声が響き合う場でした。

それだけでなく、リアリティとファンタジーのあいだをさまよう子どもたちを見つめる大人の私たち。私たちは何を見ていたのでしょうか。劇を見つめる子どもたちを見つめる私たち。

ファンタジーというかたちをもつ子どものリアリティ。リアリティのかたちをした大人のファンタジー。それらが出会う場。サンタクロースはいるのだと思います。なんて。
「練馬区アニメと教育の連携事業」公開授業+研修会
僭越ながら委員のひとりとして参加させていただいている「練馬区アニメと教育の連携事業」。今日、その公開授業+研修会。授業を拝見させていただき、色々と感じるところがありました。メモメモ。

(1)アニメ作品(に限らずあらゆる作品)を鑑賞することの意義を思った。子どものアニメ作品は、「しょせん」子どもの作品なんだけど、子どもの作品「だからこそ」楽しめる。参観の大人の笑いがおだやかであった。変な言い方だけど、子どもの作品を前にすれば、大人はやさしい大人でしかいられないという面がある。そういう目のなか子どもが育ちゆくのは素敵ではないか。

(2)アニメ独自の「作品性」。手書きアニメではたくさんの絵を描かなきゃならない。大変。でも、一枚ごとの達成感もあるはず。「褒め」が良い意味で細切れ。その積み重ねでがんばれる。いっぱいかけない子にも、その子なりの達成感があるはず。たとえ一枚でも、その一枚がないと完成しないし。かつ、最後の達成感はものすごい。大団円。一枚一枚の比ではない。これはやったことがある人にしかわからない! 理想的な「褒め」の構造が内在?

(3)一度アニメをつくった人は、実存が変化する? おそらくあの場にいた多くの参観者より、子どもたちの方が、成果も課題もわかっていたはず。発言が具体的だった。アニメ作品の要素が見えているのだろう。世界の見え方が変わった。そしてその目をこえる、「プロの目」。ハッとさせられるプロのアドバイス。ここまできて、ホントにプロはすごい!と気付けるんだろうなあ。

(4)まーくんはじめサポートのみなさんおつかれさまです。無事おわりました。

(5)今後について。今後はおそらく、○○力がつく!といった抽象的観念的な話でなく、こういう行動があったという具体的な場面の蓄積から、この取り組みの意義を語っていくことが必要だろう。コミュニケーション力がつく!という話のみではあやしいが、具体的にこういうかかわりがあったと言われれば、その納得しやすい。研修会後の先生方のフォーマルでないトークにこそ、またその語る・語りたいということにこそ、意義かあるようにも思った。